プロフィール

kuritanezuko

はじめまして、栗田つねおと申します。

1989年生まれの36歳で、現在は妻と1歳半の娘とともに鎌倉市で暮らしています。
生まれも育ちも鎌倉市で、鎌倉市のことが大好きです。

現在は企業に在籍し、ITエンジニアとしてPMO(プロジェクトマネジメントオフィス)の業務に携わっています。PMOとは、人と人をつなげ、情報をまとめ、プロジェクトをスムーズに進行するためのすべてを担う役割です。これまで、富士通、IBM、CTC(伊藤忠テクノソリューションズ)、そして国家プロジェクトなど、多様なプロジェクトで管理業務を担当してきました。

今回、私は上記の経験をもとに鎌倉市がよりよい街になるように政治活動を始めました。
皆様、何卒よろしくお願いします。

栗田つねおの人生ロードマップ

  • 幼少期

    栗田家の次男として誕生。 幼少期はおとなしい性格でしたが、母曰く「第一次反抗期以降、ずっと反抗期のようなところがある」とのこと。2歳から通った体操教室のおかげで運動が得意になり、楽しい幼稚園生活を過ごしました。周囲から「女の子のように可愛らしい男の子」と言われていたことも印象に残っています。

  • 小学生時代

    今泉小学校に入学。友人たちとカブスカウトや運動会の応援団活動を楽しみました。運動会では先頭に立って人を応援する経験を通じてリーダーシップを学びました。そして、卒業文集には「国会議員になる」と書いたことが、今につながる原点のひとつです

  • 中学生時代/高校生時代

    逗子開成中学校に入学。反抗期や無気力な時期も経験しましたが、中学3年時に復活した体育祭で応援団長を務め、総合優勝を達成しました。この経験をきっかけに、人生に明るさを取り戻しました。逗子開成高等学校に進学し、常に目立つ存在でありたいと考える、ひょうきんな性格になりました。生徒会長、応援団長、文化祭の神輿乗りなど、多くの活動に全力で取り組みました。

  • 大学生時代

    千葉大学理学部地球科学科に進学し、環境問題への関心から学びを深めました。課外活動にも積極的で、アメリカンフットボール部で4年間汗を流したほか、3年時にはお笑いサークルにも参加。M-1グランプリやキングオブコントにも挑戦しました(結果は1回戦敗退でしたが、良い経験となりました)。

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  • 社会人時代

    就職活動ではリーマンショック後の景気回復と東日本大震災の影響を受け、困難もありましたが、東陽町に本社を置くジップインフォブリッジ株式会社でプログラマーとしてキャリアをスタート。その後、政治への関心を思い出し立候補を検討するも、資金面で断念しました。 一度はアルバイトとして鎌倉の明月院で働き、枯山水の庭造りに取り組む中で、自分のルーツを再認識。その後、株式会社ブレイブハートに入社し、現在のPMO業務に尽力しています。多くの大手企業や国家プロジェクトに参画した経験を通じ、チームを結びつけ、成果を生み出す力を磨きました。

  • 政治への挑戦

    36歳を迎えた今、改めて政治の道に挑戦しようと決意しました。これまでの経験を活かし、地元鎌倉市の未来をより良いものにするために、全力を尽くしていきます。

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